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2007年04月10日

母の日のプレゼント

母の日まで後一ヶ月となって、百貨店でも母の日特設コーナーが組まれ、ネットショッピングを楽しんでいても、母の日特別企画がいっぱいです。

父の日に比べて、母の日ってとっても重要視されているような気がします。それだけ母親ってのはすごい存在なのでしょうね。

私の母はとにかく大胆な人で、いつも大声で笑っている典型的な大阪のおばちゃんでした。

まだ2歳だった娘が、近くの幼稚園のプール開放に参加するのに、保護者として母に付き添ってもらったことがあります。

娘は幼いころから活発だったので、2歳でも、水の中に完全に潜り込んで、底のオモチャを拾ったり、ジャンプしてビート板に飛び乗ったりする子どもでした。

母にはそれが溺れているように見えたらしいのです。服のまま幼稚園のプールに飛び込み、おおはしゃぎしている娘を抱き上げ、全身ずぶぬれになりました。

終わる頃、幼稚園に迎えに行った私の目に映ったのは、全身から水をボタボタとたらした母の笑顔でした。

「いやあ。びっくりしたわあ。この子は元気やなあ。このくらい活発でちょうどええわあ。はっはっはっ。」

と笑ったのです。

「こんなん、夏やしすぐ乾くわ。なんか食べにいこうや。」

とずぶぬれのまま、タイ料理のお店へ。

目を見張る定員さんに事情を説明し、すっかり仲良しになっていました。

とにかく少々のことには動じない、肝っ玉の大きさが自慢の母でした。私はどちらかというと父に似た性格で、母のあの心の大きさが羨ましかったものです。

そんな大胆だった母もお花は大好きで、よく一緒に見に行きました。特に好きだったのがコスモスで、秋になると奈良の般若寺か京都の亀岡の方に見に行ったものです。

もう一緒に見に行くことはできないけれど、景色のきれいなところに立っている母のお墓に持って行ってあげよう。

母の日当日は、お義母さんのところに行かなくてはならないので、一週間早く足を運ぶ予定です。

千趣会ベルメゾンが運営するネットのお花屋さんイイハナ・ドットコム花束「白百合の丘」 という商品がありました。今は亡き、お母さんのおもかげを思い出させる清楚な花束
清楚な白百合の花は、今は亡き、お母さんのおもかげを思い出させるもの。年に1度の母の日、せっかくなのでお墓参りをして、「いつも見守ってくれてありがとう。」というメッセージを添えて、花束を天国のお母さんに贈ってみてはいかがですか?きっと天国でお母さんもお喜びになりますよ
というメッセージが付いています。

私のようにすでに母を亡くしている人ようの、商品も用意されているというのは、何か嬉しいものです。


e87.com(株式会社千趣会イイハナ)

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ラベル:母の日
posted by チャト at 15:50| Comment(0) | 実家の話>大胆な母のエピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月06日

東京タワーと親孝行

『東京タワー オカンとボクと、時々オトン』を見ていました。

原作は読んでいないけれど、本当にこころが切なくなるお話です。

子どもを思う母心、そして母を思う子の心。

どちらの立場からも切なさを感じてしまいます。

  主人公のまー君(速水もこみち)のセリフ

「ある人が言った。どれだけ親孝行してあげたとしても、いずれ後悔するでしょう。あーあれもこれもしてあげればよかったと」


両親をすでに亡くしている友人と、時々その話をします。

「せいいっぱいがんばったつもりでも、まだしてあげれたことがあった、そんな思いがいつまでたっても、何年たってもあるよね」

亡くなった母が、亡くなる少し前にいつも口にした言葉を思い出しました。

私が顔を出すだびに

「もう、何にもしてくれんでも充分な親孝行してもらった。もう何もせんでもいいで。もうあふれるほどの親孝行してもらったからね。自分のことしてたらいいからね。何にもできんかったとか思わなくていいから。感謝ばっかりやからね。」

何度も何度も聞いた言葉です。

母は自分の死が近いことを自覚していました。

自分が亡くなった後の私達の心を、少しでも軽くしてやりたいって思っていたのかな?



posted by チャト at 18:08| Comment(4) | 実家の話>大胆な母のエピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

母の笑顔

私の母は65歳で二年前に他界しました。

娘は小学校3年生になったばかりだったので、忘れていくかなあ?記憶の中のほんの片隅にしか残らないかなあ?

なんて思って、思い出させるために

わーい(嬉しい顔)「おばあちゃんのこと覚えてる?」

って聞いてみました。

(´・ェ・`)「うん。いつもガハガハ笑ってた。近所のおばちゃんも一緒にいつもガハガハ笑ってたよね。」

という返事が返ってきました。

確かに、いつもガハガハ笑っていました。

とてもつらい生い立ちで育った母。

だからこそ、強く、ガハガハ笑える人だったのかもしれません。

母はいわゆる戦争孤児です。

三人姉弟の一番上で、終戦の時に7歳でした。

兄弟ばらばらに親戚に引き取られていったそうですが、一番下の赤ちゃんだった弟とは、姉であることを隠せと言われたらしいのです。

真ん中の弟も18歳で亡くなり、一時は悪くなりかけたこともあったと聞きます。

そんな母を立ち直らせたのは、育ててくれた義母だったそうです。

そんな母も父と出会い結婚。穏やかなやさしい父のそばで3人の子どもにも恵まれ、

「今が一番幸せ」

と言っていつもガハガハ笑っていました。

笑っていることで、幸せをつかむことができたのかもしれませんね。


私の中で、鮮明に残っている事件があります。中学生くらいだったでしょうか。

母の留守中、私が友人と自宅で遊んでいると、親戚の人が来ました。

親戚の人は友人がいたので、かばんの中にあった使い古しの紙袋にいれて、現金であることをわからなくし、お祝いかお見舞いかを置いていったのです。

「お母さんに渡しといて」

「はーい」

と言った私も中身が現金であることは知りませんでした。

友人と夢中になって話をしていると、ゴミ収集の音がしてきました。

家中に散らかっているお菓子のゴミたち。

ビニール袋に入れて出しにいくことにしました。

そこらのをかき集めたためか、楽しくて浮かれていたのか、詳しいことは覚えていないのですが、預かった紙袋を一緒に捨ててしまったのです。

その後、母が帰宅。親戚の人が来たことを伝えると、

「なにか持って来なかった?」

と聞かれました。

やっとその時点で思い出し、念のため家の中を探したのですが、当然ありません。

現金であったことを聞き、冷や汗がたらリと流れてきました。

ところが、母は

「なんぼ入ってたんやろ?お返ししなあかんもんなあ。しゃあないなあ。○○さんとこと同じにしとこ。あんたらしいなあ。どんくさー」

とガハガハ笑いました。

私を非難する言葉は一切ありませんでした。

あれからもう何十年と時が流れました。

後悔の気持ちの中で聞いた母の笑い声が、今も耳に残っています。

母の回りはいつもガハガハ笑うおばちゃんでいっぱいでした。

孫娘の心にも、ガハガハ笑っていたおばあちゃんという印象で、ずっと残っていくのでしょうか?

私は、母のようにつらい生い立ちではなく、幸せに育ちました。

だから、少しのことで、すぐに不満になったり、腹が立ったり・・・。

笑って過ごそう。

なんとなくそう思う今日なのでした。


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ラベル:笑顔
posted by チャト at 15:43| Comment(2) | 実家の話>大胆な母のエピソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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