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2007年06月19日

聞き上手

父の日が過ぎ、なんとなく父のことを思い出していました。

父が亡くなってからしばらく、一番強く感じていたこと。

話をする相手がいない!

でした。


私は、息子が学校の先生に褒められたら、父に電話かメールでそれを報告。

娘ががんばって何かできるようになったら、やっぱり父に報告。

毎日、メールか電話で父に子ども達の様子、自分が遊びに行ったこと、好きなアーティストの話から、テレビの話まで、話していたのです。

遠い昔、私が大学生の時に他界した祖母に、学校であったことテレビの話まで話していました。

祖母が亡くなってから、私の話を聞く相手は父になっていたのです。

私の長い話にも、適度な相槌で、上手に聞いてくれていました。

報告したことは、また上手に子ども達への褒め言葉となって返ってきました。

うちの子ども達は私がいいところをいつも祖父に報告し、そして、祖父がそれを喜んで、褒めてくれる、そんな風に育ってきました。

私が話ているのを聞いていたからか、子ども達もよく父に話をしていました。

数年前、子ども達は「怪傑ぞろり」の話なんかを一生懸命に話していて、話がわかるように、父は「怪傑ぞろり」を録画して見ていたようです。

そして、子ども達と楽しく話しをしていたのです。

私の祖母も、私が興味を持っているものを理解できるように、テレビで見ていてくれていました。

だから、祖母に話をしたら楽しかったのです。

祖母の血を色濃く受け継ぎ、聞き上手だった父。

私は、ずっと子どもの時から、聞き上手な身内に、本当につまらない話から、うれしいこと、悲しいこと、いっぱい話ながら、生きていたんだなあと感じたのは、父が亡くなってしばらくしてからのことです。

報告したいことがいっぱいあるのに・・・・。

私も聞き上手になりたい。

息子と娘のたわいもない話を上手に聞ける、そんな母になりたいです。

祖母と父の足元にも及ばないけれど・・・・。





2007年06月18日

父の日

昨日は父の日でしたね。いかがお過ごしだったでしょうか?

私は主人の父のリクエストでカラオケに行ってきました。

義父は自分の歌っているところを、ビデオに残しておいてほしいそうなのです。

二曲に一曲の割合で、義父が歌いビデオ撮影という、二時間半でした。

満足してもらえたらいいのですが、きれいに撮れていたのかしら?


実父はもう他界していますが、旅行好きだったのでたくさんのビデオが残っています。

旅先で笑顔の父ばかりです。

でも、まだ見ることはできません。

ダビングして、姉弟それぞれ保管しておこうということにしたのですが・・・・・。

テープが回ると涙が止まらなくなり、かけられなくなりそのままになっています。

しばらく挑戦していませんが、そろそろ元気に懐かしく見れるころかなあ、と思いながら挑戦していません。

そんなことを思いながら、父の日を過ごしていました。




2007年03月08日

チャトというニックネーム

私がブログの投稿に使っているチャトというニックネームは、思い入れがあります。

当時としては珍しく、私立のキリスト教系列の幼稚園に通っていた私。トイレに行くのに、

「先生、御用がありますので・・・」

という言葉で教室を抜けるようにという躾をしていた幼稚園でした。

小学校に入学したとき、怪獣のような(そう見えました)同級生が走り回っている教室で呆然と立ち尽くした日を、今も覚えています。(この経験から、我が子は二人とも地域の公立幼稚園に通わせました)

スタートにつまづいた私は、わずかなお友達と

「山田さん」「高橋さん」

のように、名字で呼び合い、小学生生活を送っていました。

小学5年生になった日、クラスに活発な女の子がいて、

「名字で呼んでるなんか、イヤやん。私が考えたるわ、チャトにしよ」

と言って、付けてくれたニックネームがチャトです。

あっという間に広がり、みんなにチャトと呼ばれるようになりました。

それを誰よりも喜んだのが、父でした。父はみんなの中で活発に遊んでくれる・・そんな女の子になってほしいと思っていたようで、嬉しそうに、私をチャトと呼び出したのです。

中学生になると、もうみんな普通に名前で呼び合うようになり、愛称で呼び合うことはなくなりました。

学校でチャトと呼ばれることはなくなったのですが、父だけは亡くなるまで、チャトと呼び続けました。

もう、私をチャトと呼ぶ人はいません。

ブログのニックネームを考えた時、チャト以外ありえないなって思ったのですが・・・・・。

意外や意外、私のブログを訪問してくださる方で、検索エンジンからの訪問者。

毎日必ず、チャトの検索ワードの方がいらっしゃるのです。

チャトって何かのキャラクターにでもなっているのかしら????

どちらにしても、ご訪問くださりありがとうございます。





2007年01月30日

不二家のショップをやっている方、がんばって

不二家の不祥事が連日マスコミを賑わしています。

私のよく行くスーパーでも、不二家の商品は撤去されています。

先日、妹と食事に行き、その話題になりました。

(*^。^)「ミルキーなんか、絶大なファンもおったやろうし、どこで買えるやろって、さがしている人もおるんちゃう?」

(≧▽≦)「そんなん、玉出は普通に売ってるで。昨日も行ったけど売ってたで。スーパーが全部撤去してるわけちゃうで」

(*^。^)「そーなん?さすが玉出。こういう時に撤去せんかったら、後、不二家が復活してきたら、大事にしてもらえるんちゃうん?それもえーなあ」


 玉出というのは大阪市内にたくさんある、24時間営業の激安スーパーです。こんな時でも堂々と不二家のお菓子を売っているのは立派と思えました。

(≧▽≦)「そういえば、雪印騒動の時、あほか!いうほど雪印製品ばっかりたのんでたオトンおったなあ」

(*^。^)「そうやったなあ。近所の雪印乳業の小売店に同情して、わしだけでもいっぱい買ったる!と言って、普段頼んでないヨーグルトやらなんやらまで、いっぱい頼んでたなあ。」

このオトンは私たちの父親です・・・。

二年半前に他界しましたが、なんかの折に思い出させるエピソードを数多く持ち、姉妹の間では時々話題の人になります。

雪印の不祥事の時、

「近所の牛乳屋はいつも一生懸命働いてる。何にも悪ない。絶対に売上減って困ってるわ。わしだけでもちょっとでもたくさん買ったろ」

と言って、宅配の牛乳とヨーグルトと飲みきれないほどごちゃごちゃ毎日頼んでいました。

すると不思議なことに、父のその姿を見て、近所の人たちも頼みだしたのです。

「わしも頼んだろ。あそこの牛乳屋はいつもがんばっとる」

と言って。

父が亡くなった時、涙を流してお参りしてくださった牛乳屋さん。

騒動が治まった後も、うちにはとてもサービスが良かったのです。


うちの近所に、おばちゃんが一人でやっている小さな不二家のケーキショップがあります。

騒動が治まり、店が開いたら、早速買いに行ってあげよう。

おばちゃんはいつも一生懸命に働いていたもの。







2006年05月16日

ポケモンパン

最近、子ども番組を見ることがなくなっていたので、我が家ではめったに見なくなったポケモンパンのCMが、ビデオを止めた一瞬に流れました。

「あっ!ポケモンパンや。懐かしいなあ」

と目を留める息子。

「じいちゃんがいつも食べてたよなあ。あの頃、じいちゃんってよっぽどポケモンパンが好きなんやって思ってたけど、今思うと、僕のために食べとったんやなあ。」

と、しみじみ言います。

今は中学生になった息子が幼稚園の頃、ポケモンパンにおまけでついてくるシールを集めるのが、友人たちの間で流行りました。

息子もほしくてほしくて。

でも、我が家では朝食はご飯だし、ポケモンパンを買うことはめったにありませんでした。

当時、私は月に一度くらいのペースで、子どもを連れて実家に一泊で帰っていました。

すると

「朝ごはんはポケモンパンにして」

と息子が言うのです。

理由を聞いた私の父は、それから毎日ポケモンパンを食べ始めました。

そして、シールをいっぱい集めて次に孫が来るのを待っていました。

実はめちゃめちゃ楽しみやってん。今度行ったらまたいっぱいもらえるって。やっぱり、やさしいじいちゃんやったなあ。ホンマはあんまりおいしいって思ってへんかったんかもなあ。」

「じいちゃんはあんたが嬉しそうな顔するだけで、満足やったんやと思うよ」

息子は大人になってもポケモンパンのことを覚えているでしょうか?

父が亡くなった時、息子は小学5年生でした。

だけど、幼稚園の時に感じた祖父の優しさは、ずっと息子の中にしっかりと残っているのでしょう。

2006年05月08日

父の夕涼み

GW中、パソコンをつけることもなく、ゆったりまったりと過ごし、6日ぶりの更新となってしまいました。

5月5日が亡父の二回目の命日のため、三回忌の法要、墓参りと姉弟で故人を偲ぶGWを送ってました。

「もう二年になるのか。タイムマシンがあれば会いに行きたいね。」

などなど話しながらも、二年という月日が、私たち娘、息子の心を落ち着いたものに変えてくれていることを感じました。

月日ってすごいものです。


今日は父の話を少し書いてみたいと思います。

父は私の知っている人間の中で最も気の長い人でした。

怒られた記憶はほとんどなく、いつも笑っているという印象です。

大学生やOLの頃、夜遅く帰宅することも多くなりました。

終電間近の電車で帰宅すると、父が自宅前に立っています。

「ただいま。」

というと、

「おかえり、夕涼みしとってん。帰ろうかと思ってたとこやねん」

と言います。こんな時間に?

妹が遅くなった夜も、何度も夕涼みに出て行きます。

妹が帰宅したらやっと父の夕涼みは終わるのです。

真冬の寒い夜でも、父は娘二人が帰宅するまで、何度でも夕涼みに出て行きます。

そして、帰宅した娘に言うせりふは決まって

「おかえり、夕涼みしとってん。帰ろうかと思ってたとこやねん」

でした。

一度も、早く帰って来いと言われたこともなく、怒られたこともありません。

だけど、帰るまでまた家の前に立ってるんやろうなあって思うと

「ごめん、十一時までに家に着きたいねん。先帰るわ」

と友人に言って帰るようになってしまいました。

どんな小言よりも効果抜群の父の夕涼みでした。

今、母となって家の前で待っていた父の気持ちが痛いほど分ります。

小言ばっかり言っていては、娘も息子も何も言うことなんて聞いてくれないよねって思いながらも、今日も小言を言っている情けない母親となってしまいました。

2006年04月25日

ニーナ買

20060425221027.jpg


父は愛媛県生まれです。宇和海に面した漁港育ちです。

子どもの頃、田舎に帰るといつも浜に行って、ニーナ貝(上の写真の貝です)を採ってきて、湯がいて食べました。

ゼンゴ(鯵の小さいの)も釣ってきて食べました。

父が生まれ育った家は、浜まで50メートルほどのところにあります。


私は小学生の頃、夏休みの一ヶ月間をずっとこの田舎の漁港で過ごしていました。

でも、祖父母も父もあの世の人となり、私も田舎に足を向けることはなくなりました。

わけあって、田舎の墓から祖父母と父の骨を掘り起こし、大阪の霊園に移すことになり、弟と妹が数年ぶりに田舎に出向きました。

昨日、父の遺骨と共に、懐かしいニーナ貝を持って帰って来ました。

大阪で見ることのないニーナ貝。

久しぶりに食べてみると、なんとも懐かしい味がしました。

まち針でクルクルっと中身を出して食べるのです。

それが面白くて夢中で食べていたこと、父の美味しそうな顔、いろんなものが一度に思い出されます。

次にこの貝を食べるのはいつのことになるのだろう。

なんとなく感傷的になってしまった貝の味でした。

2006年03月03日

雛人形の思いで

ぴかぴか(新しい)ひなまつりですね。今日は雛人形の思い出話を

私の母は戦争で父を亡くし母を小学生の時に亡くしたため、伯父の家で育ちました。

私が生まれたとき、父の母(私のおばあちゃん)は母方の里から雛人形が届かないだろうと思い、小さな7段飾りを買ってくれました。

でも、母の養母もお内裏様とお雛様の木目込み人形を用意してくれていました。

双方の親が雛人形を用意したことを知らなかった父は、大阪の松屋町に行き、大きな七段飾りのお内裏様とお雛様だけを買ってきました。

大きな七段飾りを買ってやりたかったけれど、貧乏でお金がなくて、毎年少しずつそろえることにしたのだとか。

かくして、私の初節句には三組ものお雛様が飾られることになったそうです。

父はその後も毎年少しずつ雛人形を買い足しました。

だけど、ある年間違ってちょっと大きなお人形を買ってしまいました。

泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸の御三方です。

お内裏様より大きなお人形でした。

子どもの時、どうして御三方がこんなに大きいのか、どうして何組もお雛様があるのか、不思議でしかたがありませんでした。

ある程度ものがわかるようになった頃、母から事情を聞きました。

私の誕生を父や、祖父母達がどれほど喜んだのかと思うと感動でした。


時は流れ、私に娘が生まれました。

雛人形を用意しようとする両親に

「私の不ぞろいの七段飾りを持っていくから、新しいのはいらない」

と言い、古い雛人形を飾りました。

お雛様はその家の長女のものだから、長女から長女に受け継いでいくものだと聞いたことがあったからです。

今娘は小学4年生です。

古い雛人形に込めた思いを知っているのかどうかはわからないけれど、気に入っているようで安心しました。

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